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最高裁判所第一小法廷 昭和51年(オ)1249号 判決

上告人

右代表者法務大臣

坂田道太

右指定代理人

柳川俊一

外九名

被上告人

河内睦男

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

右部分につき本件を広島高等裁判所岡山支部に差し戻す。

理由

上告指定代理人貞家克己、同田代暉、同筧康生、同小島正義、同加藤堅、同福永安二、同三浦昭二、同西本弘司の上告理由第一点ないし第三点について

一原審が確定した事実関係は、おおよそ次のとおりである。

(一)  被上告人は、昭和二七年当時大蔵事務官として林野税務署に勤務し、同年六月二五日同税務署長が国家公務員法七三条一項二号、旧人事院規則一〇―一、同細則一〇―一―一及び税務職員健康管理規程(昭和二七年国税庁訓令特第一三号)に基づいて実施した定期健康診断(以下「本件健康診断」という。)の一環としての胸部エックス線間接撮影による検診を受けた。

(二)  林野税務署長は、前記国税庁訓令により、右健康診断の結果職員に罹患の疑いがある旨の報告を受けたときには当該職員に対し精密検査を受けるよう指示し、更に精密検査の結果罹患の事実が明らかになれば当該職員の職務に関し健康保持上必要な措置をとるべき職責を有していたものであるところ、前記エックス線撮影にかかるフィルムには被上告人が初期の肺結核に罹患していることを示す陰影があつたにもかかわらず、同税務署長は当時被上告人に対しなんら右のような指示も事後措置も行わなかつた。

(三)  このため、被上告人は従前に引き続き内勤に比して労働の激しい外勤の職務に従事した結果、翌二八年六月二八日実施された定期健康診断により結核罹患の事実が判明するまでの間にその病状が悪化し、長期療養を要するまでに至つた。

以上のような事実関係に基づいて、原審は、前記フィルムの読影を担当した医師を含め、本件健康診断及びその結果に基づく措置に関する事務を担当したいずれの者の過失によつて林野税務署長が前記指示及び事後措置を行わなかつたのかを確定するまでもなく、また、前記フィルムの読影をしたのが広島国税局長直属の医官であつたか林野税務署長より嘱託を受けた外部の医療機関所属の医師であつたかを問うまでもなく、前記事後措置がとられなかつたことによる病状の悪化によつて被上告人が被つた損害につき上告人は国家賠償法一条一項による賠償義務を負うものと判断し、被上告人の上告人に対する損害賠償請求の一部を認容した。

二国又は公共団体の公務員による一連の職務上の行為の過程において他人に被害を生ぜしめた場合において、それが具体的にどのような違法行為によるものであるかを特定することができなくても、右の一連の行為のうちのいずれかに行為者の故意又は過失による違法行為があつたのでなければ右の被害が生ずることはなかつたであろうと認められ、かつ、それがどの行為であるにせよこれによる被害につき行為者の属する国又は公共団体が法律上賠償の責任を負うべき関係が存在するときは、国又は公共団体は、加害行為不特定の故をもつて国家賠償法又は民法上の損害賠償責任を免れることができないと解するのが相当であり、原審の見解は、右と趣旨を同じくする限りにおいて不当とはいえない。しかしながら、この法理が肯定されるのは、それらの一連の行為を組成する各行為のいずれもが国又は同一の公共団体の公務員の職務上の行為にあたる場合に限られ、一部にこれに該当しない行為が含まれている場合には、もとより右の法理は妥当しないのである。

本件についてこれをみるのに、本件被害は、前記のように、被上告人が勤務する林野税務署において同税務署長が実施した職員の定期健康診断にあたり、当時被上告人が初期の肺結核に罹患しており、右診断の一環として行われた胸部エックス線撮影にかかるフィルム中にこの事実を示す陰影が存したにもかかわらず、これが判明しておれば被上告人の職務に関し当然とられたであろう健康保持上の必要措置がとられないまま被上告人において従前どおりの職務に従事した結果病状が悪化し、長期休養を余儀なくされたというにあるところ、原審は、右の事情のもとでは、レントゲン写真の読影にあたつた医師においてその過失により右陰影を看過したか、又は右陰影の存在した事実を報告することを懈怠した違法があつたか、右林野税務署において職員の健康管理の職責を有する職員において右の点についての報告を受けたにもかかわらずその故意又は過失によつて更に執るべき措置を執らなかつた違法があつたか、あるいは両者の中間にある職員においてその故意又は過失により報告の伝達を怠つた違法があつたかのいずれかの原因によつて右のような結果を生じたものと認めるべきものであるとし、更に、以上の本件健康診断に関する一連の行為は、いずれも上告人国の公権力の行使たる性質を有する職員の健康診断を組成する行為であり、かつ、行為者はいずれも国の公務員であつて、仮にレントゲン写真による検診とその結果の報告に関する限りは前記林野税務署長の嘱託を受けた保健所の職員である医師が行つたものであるとしても、同人の右行為が右嘱託に基づくものである以上、なお同人はその行為に関する限りにおいては上告人の公権力の行使にあたる公務員というべきであるとの見解のもとに、上告人は結局被上告人の上記被害につき国家賠償法一条一項の規定による賠償責任を免れることができないとしている。

ところで、以上の各行為のうち、レントゲン写真による検診及びその結果の報告を除くその余の行為が林野税務署の職員の健康管理の職責を有する同税務署長その他の行為であり、それらがいずれも上告人国の公権力の行使にあたる公務員の職務上の行為であることについては特段の問題はなく、上告人が専ら争つているのは、前記レントゲン写真による検診等の行為の性質についての原審の上記判断の当否である。思うに、右のレントゲン写真による検診及びその結果の報告は、医師が専らその専門的技術及び知識経験を用いて行う行為であつて、医師の一般的診断行為と異なるところはないから、特段の事由のない限り、それ自体としては公権力の行使たる性質を有するものではないというべきところ、本件における右検診等の行為は、本件健康診断の過程においてされたものとはいえ、右健康診断におけるその余の行為と切り離してその性質を考察、決定することができるものであるから、前記特段の事由のある場合にあたるものということはできず、したがつて、右検診等の行為を公権力の行使にあたる公務員の職務上の行為と解することは相当でないというべきである。もつとも、そうであるとしても、本件における右検診等の行為が上告人の職員である医師によつて行われたものであれば、同人の違法な検診行為につき上告人に対して民法七一五条の損害賠償責任を問擬すべき余地があり(もつとも、多数者に対して集団的に行われるレントゲン検診における若干の過誤をもつて直ちに対象者に対する担当医師の不法行為の成立を認めるべきかどうかには問題があるが、この点は暫く措く。)、ひいてはさきに述べた一般的法理に基づいて上告人の賠償責任を肯定しうる可能性もないではないが、仮に上告人の主張するように、右検診等の行為が林野税務署長の保健所への嘱託に基づき訴外岡山県の職員である同保健所勤務の医師によつて行われたものであるとすれば、右医師の検診等の行為は右保健所の業務としてされたものというべきであつて、たとえそれが林野税務署長の嘱託に基づいてされたものであるとしても、そのために右検診等の行為が上告人国の事務の処理となり、右医師があたかも上告人国の機関ないしその補助者として検診等の行為をしたものと解さなければならない理由はないから、右医師の検診等の行為に不法行為を成立せしめるような違法があつても、そのために上告人が民法の前記法条による損害賠償責任を負わなければならない理由はないのである。そうすると、原審が、これと異なる前記のような見解に立ち、本件健康診断における一連の行為のいずれに違法があつたかを具体的に特定するまでもなく結局上告人は損害賠償責任を免れないと判断したのは、法令の解釈適用を誤り、ひいては審理不尽による理由不備の違法を犯したものといわざるをえない。

三右の次第で、論旨は理由があり、原判決中被上告人の請求を認容した部分はその余の上告理由について判断するまでもなく破棄を免れず、本件健康診断に基づく被上告人に対する事後措置がとられなかつたのがこれに関する業務のいかなる過程における過誤に基づくものか、仮にこれが検診を担当した医師の過誤に基づくものであるとすれば、その医師は上告人の被用者であるか、また、その過誤は被上告人に対する関係において不法行為の要件としての違法性を帯有するものかどうか等について更に審理を尽くさせるため、右破棄にかかる部分につき本件を原審に差し戻すのを相当とする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致の意見で、主文のとおり判決する。

(藤﨑萬里 団藤重光 本山亨 中村治朗 谷口正孝)

上告指定代理人貞家克己、同田代暉、同筧康生、同小島正義、同加藤堅、同福永安二、同三浦昭二、同西本弘司の上告理由

第一点 原判決が、被上告人の被つた損害につき、それがいかなる公務員のいかなる行為によつて生じたものであるかを確定することなく、直ちに国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項による上告人の賠償責任を肯定したのは、審理不尽による理由不備の違法を犯したものである。

一、原判決(その訂正、引用する等一審判決を含む。以下同じ。)は、

(一) 被上告人は、昭和二七年当時大蔵事務官として林野税務署に勤務していたが、同年六月二五日、健康管理者たる同税務署長が国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のものをいう。以下同じ。)七三条一項二号、旧人事院規則一〇―一、旧人事院細則一〇―一―一、国税庁訓令に基づいて実施した定期健康診断を受診し、国税務署長の嘱託により林野保健所で行われた胸部X線間接撮影を受けた。

(二) その際撮影されたフィルムには、被上告人の右肺に結核の初期症状を示す陰影が写つており、右陰影は一般の医師がX線フィルムの読影に当たつて見逃すはずのないものであつたにもかかわらず、同税務署長から被上告人に対し、精密検査を受診すべき旨の指示その他何らの指示もなされなかつたので、被上告人は、その後も従前どおり外勤事務に従事しているうち、翌昭和二八年六月八日に実施された定期健康診断によつて、結核にり患していることが判明した。

(三) 被上告人は、昭和二七年度の定期健康診断時に、既に結核にかかつていたものであり、当時の病状は、いまだ自覚症状のない右肺の初期の肺浸潤で、内勤に職務変更されるとともに約六箇月ないし一年間の通院治療を受けることによつて治ゆする程度のものであつたが、り患していることの発見が右のように遅れたため、被上告人は、その治療のため前後六年二箇月の病気欠勤期間を含む合計十数年間の療養生活を余儀なくされ、物心両面にわたる損害を被つた。

との事実を認定した上、以上の事実関係から直ちに、上告人には被上告人の被つた損害につき国賠法一条一項による賠償責任がある旨判断している。右のとおり原判決は、被上告人が結核にかかつていることの発見が遅れたため長期の療養生活を余儀なくさせられたことにつき、その原因を与えたのがいかなる公務員のいかなる行為によるものであるかを全く特定していないのであるが、その理由として原判決の説くところは、次のとおりである。

すなわち、原判決は、本件定期健康診断及びその結果に基づいて採られる事後措置の関与者について「前記税務署長はいうに及ばず、広島国税局長(およびその直属医官)、さらには、仮に被告主張のように前記保健所所属の医師が、右署長の嘱託に基づいて関与したものとすれば、その医師も、すべて公権力の行使をした「公務員」というべきことになる。」(原判決の引用する第一審判決(以下単に「第一審判決」という。)二二丁表四行目以下)とした上、「原告に対し当然されなければならなかつた精密検査の指示が同署長からなかつたことは、少なくとも、これに関与した公務員のうちのいずれかの者の過失に基づいて生じたこと明白である。すなわち、医師が陰影を見落したとしても右のとおり過失によることになる。まして、読影に誤りがなく、その後の報告ないし指示過程で過失が生じたものとすれば、……その者の過失によつて生じたものであること、右事務の性質からみて明らかである。」(第一審判決二二丁裏四行目以下)というのである。そして原判決は、右のような判示をするについて基礎とした見解を次のように述べる。

すなわち、「定期検診およびその結果に基づいてとられる事後措置(以下定期検診等という。)は、いずれも……国賠法一条一項にいう「公権力の行使」に当る」とし(第一審判決一七丁裏八行目以下)、そのいわゆる自己責任説の立場から、過失ある公務員の特定については、「当該公務員を具体的に特定するまでの要はなく、当該公権力の行使に当つた公務員のうちいずれかのものに過失があつたことさえ明確になれば足る」(第一審判決二三丁表一二行目以下)とするのである。

二、しかしながら、国賠法一条一項は、国の損害賠償責任の要件として、公務員の加害行為が違法であること及び当該公務員に故意又は過失があることを要求しているのであるから、損害発生の原因となる加害行為を特定することなく上告人の損害賠償責任を肯定することは許されない筋合であつて、この点に関する原判決の見解には、到底賛同することができない。

定期検診等を一体として国賠法一条一項にいう「公権力の行使」に当たるとする原判決の見解が誤りであることについては、後述するとおりであるが、国賠法一条一項を適用する上で、「当該公務員を具体的に特定するまでの要はない」旨の原判決の説く一般論は、少なくとも本件においては、到底妥当性を有しないものである。なるほど、従来下級審裁判例の一部には、加害公務員を特定することなく、国賠法一条一項の適用を認めた例はあるが、それらはいずれも明確に加害行為を認定した上で、加害者たる公務員個人の氏名等を特定、認識は必ずしも必要でないとしたものであつて(東京地裁 昭和三九年六月一九日判決・下級民集一五巻六号一五〇ページ、東京高裁昭和四三年一〇月二一日判決・下級民集一九巻七・八号九四ページ、東京地裁昭和四五年一月二八日判決・下級民集二一巻一・二号三二ページ、東京地裁昭和四八年三月二九日判決・判例時報七〇一号八四ページ)、およそ加害行為を認定することなく、公務員の特定を不要とした例はないのである。しかるに原判決は、本件損害が、本件定期検診等に「関与した公務員のうちのいずれかの者の過失に基づいて生じたこと明白である。」というにとどまり、客観的にいかなる行為が加害行為であるかについて、何らこれを特定し、認定してはいないのである。

もつとも、原判決は、前記引用部分に照らせば、本件損害は「医師が陰影を見落した」か、「その後の報告ないし指示過程で過誤が生じた」かのいずれかであると考えるもののようである。しかし、原判決の判文自体によつて明らかなように、それらはすべて仮定の議論であつて、そこに何らの事実認定もなされていないのである。すなわち原判決によれば、「仮に被告主張のように前記保健所所属の医師が、右署長の嘱託に基づいて関与したとすれば、」その医師は国賠法一条一項にいう「公務員」であり(前記引用部分)、「仮に医師が読影に当つてこれを見のがしたとすれば過失たるを免れないものであつた」(第一審判決一六丁裏五行目以下)というにとどまり、右医師が関与したかどうかの認定すらなされていない。また、「読影に誤りがなく、その後の報告ないし指示過程で過誤が生じたものとすれば」、過失に当たるというが(前記引用部分)、これまた仮定の議論にすぎないことは明らかである。しかも、本件において「読影に誤りがなく、その後の報告ないし指示過程で過誤が生じた」可能性が果たしていかほど存在し得たというのであろうか。

要するに、原判決は、特定公務員の加害行為について何ら認定することなく、仮定の事実の上に立つた法律論を展開したにすぎない。これは、原判決が定期検診等を一体として「公権力の行使」に当たるとした考えの誤りと、そのいわゆる自己責任説に基因するものであるが、いわゆる自己責任説の当否はともかく、同説に立脚したとしても、国賠法一条一項がその責任の要件として公務員の故意、過失を要求している以上、公務員の特定と加害行為の認定を抜きにして、右条項の適用を論ずることはできないものといわなければならない。確かに、事案によつては加害公務員の特定、識別が不可能であり、また不必要とされる場合のあることは否定し得ないが、本来、それは立証の程度の問題に帰着する事柄であり、いわゆる自己責任説でなければ説明し得ないものではないのである(古崎慶長・国家賠償法一三八ページ)。

結局、原判決は、特異な見解に立つて事実認定を放棄したに等しいものというべきであり、この点において原判決には審理不尽による理由不備の違法があることが明らかである。

第二点 原判決が、税務署職員の定期健康診断に際し税務署長から検診の嘱託を受けた保健所所属の医師は、国の公権力の行使に当たる公務員に該当する旨判断したのは、次の二点において国賠法一条一項の解釈適用を誤つたものである。

一、国賠法一条一項の「公務員」の解釈適用の誤りについて

1 原判決は、国賠法一条一項に規定する「公務員」の範囲について、「広く公務を委託されて、これに従事する一切の者、すなわち、国がその者に対し直接指揮・監督できる関係にあることを要しない」(第一審判決一七丁表)と判示した上、林野保健所所属の医師を国の公権力を行使する「公務員」としている。しかしながら、保健所所属の医師は、地方公共団体の公務員ではあるが、国の公務員ではない。

2 国賠法一条一項の「公権力の行使に当たる公務員」について考えるに際しては、公権力の行使に当たる者がすなわち公務員であると即断すべきではない。文理からいつても、「公務員」の概念を前提とし、これに「公権力の行使に当る」という語を冠して、前提たる公務員概念を限定し修飾しているからである。したがつて、公務員の概念規定こそが先決問題である。

公務員概念は、国賠法のみならず、刑法、国家公務員法、地方公務員法その他各種の法令において採用されており、これら諸法令における公務員概念は、それぞれの立法目的に照らして各別に判断することが必要であり、すべてにわたつて一律に考えるべきではないであろう。しかしながら、法令が公務員という概念を用いている以上、その概念の中には、各種法令における公務員を通じ、非公務員との間に限界を画すべき何らかの要素を予定しているものであり、公務員一般に共通する概念を前提とすることなく公務員概念を用いることは、それ自体およそ考えられないところである。各種法令における公務員概念は、それぞれの立法目的等に照らして判断する必要があるとはいつても、それは、公務員一般に妥当する概念とは何であるかという共通の認識の上に立つての議論であることはいうまでもない。

そして、このような公務員一般に通ずる概念は、「一般的には、身分上、国又は地方公共団体とのつながりを持ち、それらの事務に従事する者をいう。国家公務員であると地方公務員であると、公選による議員であると、また、官吏であるか、雇傭人であるかを問わない。」(佐藤達夫・林修三・高辻正巳編。法令用語辞典(第四次改訂新版)二〇五ページ)のである。

各種法令が公務員という概念を採用するに当たつても、右のような一般的な公務員概念を当然の前提としているものというべきであり、個々の法令における公務員概念は、それぞれの立法目的に照らし、あるいは右の「身分上のつながり」を持つ者の範囲に広狭の差があり、あるいは右の「事務に従事する」態様においてその在り方の違いないし濃淡の差があるにすぎない。国賠法上の公務員概念についても同様であつて、同法の趣旨をどのように解するにせよ、同法一条一項の公務員を解釈するに際しては、右の一般的な公務員概念から離れることがあつてはならない。

3 国賠法一条一項の「公務員」に関する従前の裁判例を見ると、従来公刊された裁判例で見る限り、国賠法一条一項の公務員に該当するか否かを判示事項として掲げた判例は、最高裁判所に存在せず、下級審の裁判例中、この論点に関し公務員性を肯定したものは、いずれも地方公共団体の議会の議員、各種委員会の委員、執行吏、公証人、収税官吏というように、国又は公共団体との間に身分上のつながりが存在する事例に限られる。

最高裁判所の判例としては、仮処分に係る船舶につき執行吏により選任された保管者につき国賠法一条一項の公務員性を否定した例(最高裁昭和三四年一月二二日第一小法廷判決)はあるが、国賠法の公務員性の有無を問題にしてこれを肯定した例は、いまだ紹介されていない。

もつとも、この点については、代替執行(民法四一四条二項、民訴法七三三条一項)の実施を委任された第三者(執行吏以外の者)についても国賠法一条一項の公務員性を肯定した判例として、最高裁判所昭和四一年九月二二日第一小法廷判決(民集二〇巻七号一三六七ページ)を挙げる考え方(古崎慶長・国家賠償法一〇八ページ・一〇九ページ注(5)、下山瑛二・国家賠償法(現代法学全集)九五ページ)がある。しかし、この考え方は、右最高裁判所判決の理解を誤つている。

右昭和四一年の最高裁判所判決は、執行吏が実施する代替執行債権者の委任に基づく私的行為であるのか、国の公権力の行使であるかという論点について、国の公権力の行使であると判示したにとどまり、執行債権者から代替執行の実施を委任された第三者(執行吏以外の者)を公務員としたものでは決してない。すなわち、同判決が判示したのは、専ら代替執行の実施という行為の性格いかんという問題についてであり、それが代替執行の実施に当たる者の公務員性の有無の問題と全く関係のないものであることは、同判決を熟読すればおのずから明らかである。

4 原判決は、国賠法一条一項の公務員とは、「広く公務を委託されて、これに従事する一切の者、すなわち、国がその者に対し直接指揮・監督できる関係にあることを要しない」とした上、「仮に被告主張のように前記保健所所属の医師が、右署長の嘱託に基づいて関与したものとすれば、その医師も、すべて公権力の行使をした「公務員」というべきことになる。」と判示している。

右判示が公権力の行使に当たる者がすなわち公務員であると即断する考え方をとつているものかどうかは必ずしも明らかではないが、「国がその者に対し直接指揮・監督できる関係にあることを要しない」とし、明らかに国との間に身分的な関係を有しない林野保健所の職員である医師を「国の公務員」であると認めた点において、国との身分上のつながりを要しない、との見解に立脚していることは明らかである。

更に、原判決は、公務員性の要件として、「広く公務を委託されてこれに従事する一切の者」と判示しているが、その趣旨とするところは著しく不明確である。原判決が、「署長の嘱託に基づいて関与した」ことをもつて、医師が国の公務員であるとしているところを見ると、原判決は、それが国(本件では林野税務署長)の事務であるか、保健所の事務であるかという側面からではなく、当該行為が国からの委託関係に基づくものであることを重点に置いて公務性の有無を決める考え方をとつているものと解することができる。しかし、このような論法からすると、例えば本来官公庁においてなすべき公文書の浄書を、いわゆる外注として業者に請け負わせた場合における印刷業者も、公務員として公務を執行することにならざるを得ないが、かかる理解は、著しく我々の法常識に反する。本件において、いわゆる定期検診を引き受けた保健所の医師も、右の例における印刷業者も、単に国からその仕事の委託を受けたにすぎず、これに従事したからといつて国の事務を処理していると観念することはできない。すなわち、国の事務ということと、国のために役立つ事務ということとは、明確に区別しなければならないのである(浅井清・国家公務員法精義(新版)三九ページ以下及び佐々木惣一・憲法行政法演習一巻二一五ページ以下、二巻二七一ページ以下、三巻二四八ページ以下参照)。

5 以上のとおり、医師の診断行為が国の事務であるか否か、医師が「嘱託」を受けることにより国との間においていかなる身分上の関係に立つことになるかを明らかにしなければ、右医師が「国の公務員」であるか否かは明らかにならないはずである。原判決が、以上の点を明らかにしないまま、保健所所属の医師が「国の公務員」であると判断したのは、国賠法一条一項の「公務員」の解釈適用を誤つたことによるのであり、このことが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二、国賠法一条一項の「公権力の行使」の解釈適用の誤りについて

1 原判決は、「定期検診は、当事者間にも争いのないとおり、一記載の法令等に基づいて、健康管理者たる前記税務署長が実施したものである。同法令等の規定によると、同署長は健康管理者として、所属職員に対しこれを実施し、強制的に受診させて、結核性疾患その他の病気の早期発見に努め、罹患していることが判明した職員に対しては、前記当事者間に争いのないとおり、勤務場所または職務の変更など適切な事後措置をとらねばならない。もちろん、当該職員は同署長の右指示に従うべき義務がある。他面、定期検診で異常がないとされた職員は、一応、健康体として、職務につき、上司の職務上の命令に従うべき義務が生ずることになる。両者は表裏の関係にあるわけである。このようにみてくると、定期検診およびその結果に基づいてとられる事後措置(以下定期検診等という。)はいずれも、優越的意思の発動たる作用ということができ、公的性質をもつこと明らかなものである。従つて、国賠法一条一項にいう「公権力の行使」に当るものといえる。なお、右要件に該当するか否かの判断対象たるべきものは、被告が主張する読影のように、定期検診の構成要素に当る個々の行為ではない。」(第一審判決一七丁)と判示している。

しかしながら、右判断は、定期検診と定期検診の結果に基づいて採られる事後措置とを区別することなく、両者が一様に「公権力の行使」に当たるとしている点において、法の解釈適用を誤つている。定期検診のうち、医師又は歯科医師の行う検査及び診断それ自体は、「公権力の行使」ではない。

2 国賠法一条一項にいう「公権力の行使」の範囲については、民法との適用範囲との関係で学説上の対立があるが、国又は地方公共団体が私人と対等の関係に立つて行う行為、すなわち私経済作用を除く点は、学説の上でも多数説(古崎・前掲一〇一ベージ、有倉遼吉「逐条国家賠償法解説」法律時報二五巻九号一七ページ等)であり、かつ、判例の大勢であるといつてよいであろう。けだし、国又は地方公共団体の行う行為の中には、ただその行為主体が国又は地方公共団体というのみで、その行為の性質は私人が行う場合と全く異ならないものがあり、このような行為については、民法等の一般私法を適用すれば足り、国賠法一条により被害者の救済を図る必要は全くないからである。

原判決が「公権力の行使」について判示する「公的性質をもつた作用に基づく」という意義は、必ずしも明らかでないが、私人たる行為と同様の行為を除くとする前記の見解と恐らく同旨のものであろう。

ところで、原判決は、「定期検診およびその結果に基づいてとられる事後措置(以下定期検診等という。)はいずれも、優越的意思の発動たる作用ということができ、公的性質をもつこと明らかなものである。従つて、国賠法一条一項にいう「公権力の行使」に当るものといえる。なお、右要件に該当するか否かの判断対象たるべきものは、被告が主張する読影のように、定期検診の構成要件に当る個々の行為ではない。また、上司が職員に健康体として勤務させることが、右公権力の行使に当ることは明らかである。」と判示している。右判示するところは、必ずしも明らかでないが、健康診断に係る行為を、任命権者による事後措置も含めて、一個の行為として判断対象としているものと思われる。しかしながら、右判示は、健康診断についての判断を誤つている。すなわち、国家公務員法七三条一項は、「人事院及び関係庁の長は、職員の勤務能率の発揮及び増進のために、左の事項について計画を樹立し、これが実施に努めなければならない。」とし、その一つとして、「職員の保健に関する事項」を定めている。そして、右「保健に関する事項」の一つの具体的な方法として、人事院規則一〇―一は、「任命権者は、定期に、職員の健康診断を行わなければならない。」「任命権者は、健康診断の結果に基き、必要と認める場合には、事務総長の定めるところにより、勤務の場所又は職務の変更、休暇、休職その他職員の健康の保持に適切な措置をとらなければならない。」としている。右の健康診断の具体的な方法については、人事院細則(一〇―一―一)が定めている。

国が公務員に対して行う健康診断は、任命権者が職員に健康診断の機会を与える行為、医師又は歯科医師が公務員の健康状態につき検査又は検診をする行為、任命権者が健康診断の結果に基づき、職員の健康保持に適切な措置を採る行為及び任命権者がその結果を人事院に報告する行為によつて構成されている。右の各行為のうち、医師又は歯科医師の行う検査又は検診行為自体は、医師又は歯科医師がその有する専門的知識、技術を用いて行うものであり、その性質上、国が優越的な意思の発動を行使し得る余地のない行為である。このような検査又は検診行為は、私人たる医師若しくは歯科医師又は公立の病院、診療所の医師若しくは歯科医師が、一般私人を検査し、又は検診するのと何らその本質を異にしない行為であり、前記の「私経済作用」と理解されるべきものであつて、正に一般私法の適用を受けるべきものである。

このことは、前記人事院規則一〇―一においても、任命権者の実施する健康診断中、検査又は検診行為をそれ以外の行為としていることからもうかがい得る。すなわち、同規則は、任命権者は、任命権者の指定する医師又は歯科医師の検査又は検診を受けることができない者については、他の医師又は歯科医師による検査又は検診の結果を証明する書面を提出させなければならないものと定め、このような方法によつて健康診断を行うことも容認しているが、このことは、同規則が、健康診断のうち、検査又は検診行為自体には任命権者が自ら介入し得る余地がないことを認め、これを他の医師等による診断書によつて代替し得ることを認めたものにほかならず、これは、健康診断における検査又は検診自体は「公権力による」行為でないことを物語るものである。

医師又は歯科医師の行為が私経済作用に属する行為であることは、診断をする医師又は歯科医師の行為内容を見れば一層明らかである。健康状態の診断に当たる医師又は歯科医師は、それが国の機関の委嘱に基づいて行う場合であると否とを問わず、医療専門家としての立場から検査又は検診を行うのである。そして、国賠法における行為者は、現在の通説及び判例によれば、原則として、自ら被害者に対して責任を負わず、ただその行為が「故意又は重過失」による場合にのみ、国又は地方公共団体から求償権を行使されるにすぎないのである。国の機関が委嘱に基づいて行う医師又は歯科医師の診断行為は、私人ないし私企業の委嘱に基づいて行う診断行為と何らその実体において異なるところがないのにかかわらず、もし前者が後者と異なつた法的取扱いを受けるとするならば、それは著しく合理性を欠くことになるであろう。

3 したがつて、本件において、林野保健所所属の医師が税務署長の嘱託により行つたレントゲンフィルムの読影等の診断行為は、国賠法一条一項の「公権力の行使」に該当しないことが明らかである。原判決が、国の機関の実施する健康診断の過程中に存する右のごとき医師の行為について、任命権者の職員に対する事後措置と一括して「公権力性」を肯定したのは、同項にいう「公権力の行使」の解釈適用を誤つたものであり、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第三点 原判決が、国家公務員に対する定期健康診断の過程において、検診に当たつた医師の過誤により疾病の発見が遅れたため、適切な事後措置が講ぜられる機会が失われ、これによつて受診者が損害を被つた場合には、右受診者は国賠法一条一項に基づき国に対し損害の賠償を求めることができる旨判断したのは、行為の違法性に関する法令の解釈適用を誤つたものである。

一、原判決は、公務員が定期検診等においてその関与者の過誤により被害を受けた場合、当該公務員は、公権力を行使する公務員の故意又は過失による違法な行為により損害を被つたものとして、国賠法一条一項に基づき損害賠償の請求をすることができる旨判示している。要するに、原判決は、国の機関が所属職員に対して実施する健康診断及びこれに伴う事後措置については、右の事務に関与する者の過誤は、すべて国賠法一条一項にいう違法性を帯びるとするのである。

しかしながら、健康診断及びこれに伴う事後措置におけるすべての過誤が、国賠法一条一項の違法行為になるわけではない。特に、本件におけるごとく、健康診断における医師の検診の過誤が国賠法一条一項の「違法」行為となり得ないことは、以下に述べるとおりである。

二、原判決は、定期検診が、その根拠規定たる国家公務員法七三条の規定の置かれている位置(同条は、「能率」に関する第三章第五節に位置する。)や、その条文の文言等を形式的、文理的に解釈して判断する限り、職員の勤務能率の発揮及び増進をさせるためにのみ行われるもののように解されるとしながら、国家公務員法の他の規定をも併せて解釈し、更に公務員法以外の一般労働者に適用される労働基準法及び労働安全衛生法等との関連において、この制度を解釈するとき、定期検診は単に能率増進を図るために行われるものではなく、公務員に対する義務としても行われるものであり、したがつて、公務員は定期検診が誠実に行われ、自己の保健に資することを法律上保障されているものであるとしている。更に、原判決は、「なおここで、国は国家公務員に対し、その公務遂行のための場所、施設若しくは器具等の設置管理又はその遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うとする見解(最高裁判所昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決)が参照されるべきであろう。」と付加している。しかしながら、健康診断が国家公務員に対する義務として行われるということが、直ちに、健康診断に関する一切の過誤が国賠法一条一項の違法行為となることを意味するものではない。

国家公務員に対する健康診断のうち、少なくとも医師又は歯科医師による検査又は検診は、あくまで、職員自体が主体となつて行う健康管理に加えて、補助的手段として実施されるものである。健康診断が職員のために行われるものであり、任命権者(健康管理者)は、職員の健康を管理し、職員の健康に適した措置を採る義務があることは確かであるが、このことは、任命権者の職員管理上の行政上の義務にすぎず、職員の受ける利益は、その行政上の義務の反射的利益にすぎない。特に、健康診断のうち、医師又は歯科医師による検査又は検診において、このことは一層明らかである。国家公務員法は、国に対し職員の疾病の早期発見義務まで課しているわけではなく、職員は、医師の検査又は検診における過誤によつて損害を被つた場合において、国に対し賠償を求め得る程度にまで利益を保護されているわけではない。

このことは、前記の健康診断についての法制度も予定するところである。すなわち、前記人事院規則一〇―一は、任命権者に職員の健康診断を行うべきことを義務づけしてはいるが、他方では、職員自ら健康診断を受け、その結果を証明する書類を提出する方法も併せて規定している(旧人事院規則一〇―四第十五条、現行人事院規則一〇―四第二二条、労働者安全衛生法六六条五項も同旨)。このことは、少なくとも、右検査、検診行為においては、任命権者の責任は補充的であり、健康管理はもともと職員本人がなすべきことを前提としていることを明らかにしている。

また、公務員の定期検診に関するものと同様の規定は、一般労働者を対象とする労働者安全衛生法にも存するが、もし仮に同法の規定に従つて定期検診を実施した事業者についても本件と同様の結論に達すると仮定した場合、事業者に健康診断を実施する義務を負わせた同法六六条一項の規定は、事業者に非常に大きな義務を負わせたことになるのであつて、そのような結論は到底支持されないであろう。(村上義弘「国家公務員に対して実施される定期健康診断に関して生じた損害に対する国の賠償責任」判例評論一九四号三〇ページ参照)。

以上の諸点を考慮すると、国の機関が健康管理者として所属職員に対して実施した健康診断の際に、健康管理者から検診の委嘱を受けた医師が診断を誤つて受診者が疾病にかかつていることを看過したため、健康管理者が適切な事後措置を講ずる機会を失し、これによつて受診者に損害が生じたとしても、当該職員は国賠法一条一項に基づき国に対し損害の賠償を求めることはできないものと解するのが正当である。何となれば、国は職員に対し疾病の早期発見義務までも負つているものではないし、また、健康診断その他の健康管理業務に従事する公務員がその職務を行うにつき個々の職員に対する関係で負う義務も、国が負つている義務以上に出るものではない。したがつて、仮に検診を行う医師がその診断上の過誤により受診者の疾病を早期に発見し得なかつたとしても、右医師は受診者に対する関係では何ら義務に違反したことにはならず、国賠法一条一項にいう「違法に」他人に損害を加えたものということはできないからである。

三、しかるに、原判決は、昭和二七年度の定期検診後に上告人に対し精密検査を受けるべき旨の指示がなされなかつたことが、仮に医師がX線間接撮影フィルムの陰影を見落としたことに起因するとしても、右医師に過失のあることは明白であり、国賠法一条一項所定の要件はすべて充足されている旨判断しているのであるから、右の判断は、同条項にいう行為の違法性の解釈適用を誤るものであり、その誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第四点 本件定期検診の際に撮影された被上告人の胸部X線間接撮影フィルムの読影に当たつた医師の過失に関する原判決の認定には、経験則違反ないし理由不備の違法がある。

一、原判決は、本件定期検診時における被上告人の病状が「右肺の初期の肺浸潤ないし限局巣状肺結核で、原告が当時直ちに休養、通院治療等を施せば、半年ないし一年ほどの早期に治癒し得たはずのものであつた。」と認定した上、「レントゲンの間接撮影による健康診断は、いわゆる集団検診の特性からして、病巣の位置及び大小、フィルムの影像精度、読影の制限時間、担当医師の読影能力等の相関において、ある程度の読影過誤は避けられないことがうかがわれ、本件においても、被告主張の如き読影の障害となりうる諸事情のあつたことは認められるところであるが、右事情を考慮しても、甲第一号証の二のフィルムの陰影は、当時集団検診に関与してフィルムの読影をした医師の一般的能力からみると、なお見のがすことはない、といえるものである。このことは、連続多数フィルムを読影する集団検診と違い、甲第一号証の一ないし三の三フィルムを読影するものであつたけれども、これらフィルムを手にした右各証人及び鑑定人はいずれも一見して甲第一号証の二の陰影を指摘したことからもうかがえるのである。」として、「甲第一号証の二のフィルムの陰影は、仮に医師が読影に当つてこれを見のがしたとすれば過失たるを免れないものであつた」と判示している。

右のとおり、原判決は、第一審及び原審における証人、鑑定人が「一見して甲第一号証の二の陰影を指摘したこと」をもつて、医師の読影の際における過失を認定した主要な根拠としているのである。

しかしながら、本件訴訟の時点においては、本件定期検診時と比べて医師のX線間接撮影フィルムの読影能力が格段に進歩しているのであるから、訴訟において証人又は鑑定人となつた医師が甲第一号証の二のフィルムを一見して陰影の存在を指摘したからといつて、そのことから直ちに、原判決のように「甲第一号証の二のフィルムの陰影は、当時集団検診に関与してフィルムの読影をした医師の一般的能力からみると、なお見のがすことはないといえるものである。」と認定することは許されない。

原判決は、「被告主張の如き読影の障害となりうる諸事情があつたことは認められる」としながらも、なお前記のような認定に到達しているのであるが、上告人は、一、二審において、読影の障害となり得る事情として「原告が主張する間接撮影フィルムの陰影は発見困難な位置にあり、さらに、当時の医師の間接撮影フィルムの読影能力は未だ低く、しかも、短時間に多数のフィルムを読影しなければならない状態にあつたことなどの事情を考え合せば、仮に医師が右陰影を見落したとしても、読影に関する当時の一般的水準からして、過失があつたとはいえない。」「当時、林野保健所は岡山県英田郡を所轄し、医師三名によつて保健所法所定の業務が行われていた。同保健所においても、レントゲン発生装置は鮮明な画像が得がたい最も原始的な無整流式であり、使用したフィルムは三五ミリ有孔判であつて、実効面積は二四ミリ×二四ミリという小型であつた。読影については三回に一回位の割合で大病院や県庁で当時における最新の読影に関する講習を受けながら、多くの場合同保健所の医師一名によつて一度に五〇〇枚ないし六〇〇枚、多いときは一、〇〇〇枚位のフィルムが読影されていた。フィルムの読影所要時間は一枚を二秒ないし三秒と見てどんどん読み流し、その中から異常所見のあるフィルムをチェックするというものであつた。したがつて、一般的にいつて、原告の如き異常所見を截然と発見し得るほど前記医師の読影能力は熟していなかつたのである。」旨の主張をしているのである(一、二審判決事実摘示参照)。

そして、第一審及び原審における各証拠によれば、昭和二七年当時は、間接撮影が始まつたばかりで、フィルムの読影ができるのは、保健所・診療所・大病院の医師位しかいなかつたこと(当時の林野保健所長野村浩の第一審における証言)からして、甲第一号証の二のフィルムを読影した当時の林野保健所の医師らは、通常備うべきフィルム読影の技術をもつていたこと、右医師らは、読影技術の進歩を吸収するために、当時大病院や県庁でその講習を受けていたこと(同右、野村浩の証言)。昭和四三年における保健所等の医師の読影技術をもつてしても、被上告人と同程度の異常陰影に対する七〇ミリフィルムにおける見落とし率は23.5パーセントあり(結核予防協会結核研究所副所長島尾忠男の原審における証言)、まして三五ミリフィルムにおける昭和二七年当時の見落とし率は、使用フィルムの大小・読影技術の水準差等から推してなお数段高かつたことが認められるのである。

以上の事実が認められるならば、本件のフィルムの読影に当たつた保健所医師は、フィルムの読影能力において通常の医師の能力を超える能力を有していたが、本件の陰影程度の初期の結核の陰影は誤読してもやむを得ない事情にあつたことが優に認められるのである。

しかるに、原判決が、右のような上告人に有利な事情を認めながら、「当時の医師の一般的能力からみると、なお見のがすことはない」と認定した根拠は、前示のとおり、本件訴訟における証人及び鑑定人が甲第一号証の二のフィルムの陰影を指摘したことにあるのであるが、右認定は、証拠の価値判断に当たり、甲第一号証のフィルムが切り離されていること、各証人及び鑑定人は、右フィルムに「陰影がある」との予備知識を持つていること、各証人、鑑定人とも、供述時においては昭和二七年当時に比して格段に進んだ知識、技術、経験と読影能力を具備していること、を看過したものであつて、裁判官の自由心証の域を超え、経験則に違背するものであり、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。仮にそうでないとしても、原判決は、上告人に有利な右各事実を認めながら、前記の程度の理由を付したのみで過失の認定をした点において、理由不備の違法があるといわなければならない。

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